三流外資系サラリーマン大家のブログ

不動産、金融商品、三流サラリーマンの悲哀

資本蓄積 三流外資系サラリーマン大家の場合 (幼少期)


三流外資系サラリーマン大家です。

昨日から資本蓄積について書いております、本日は金額としてたいして資本蓄積されませんでしたが、生きる上で習慣付けられた私=三流外資系サラリーマン大家の幼少期のケースを書いてみます。


私は出身が和歌山のくそ田舎であり、両親が植木事業を始める迄は、わずかばかりの密柑山と、賃借で借りた狭い畑(くそ山のなか)に計画性もなくその時流行している野菜類を生産し販売しておりました。
一例ですが今は荒れ果てた畑です。橋のない川を越えねば畑に行けません(笑)
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両親は脈略もなく生産品種を設定し、すぐに生産品目を変えます。
エンドウ豆、きゅうり、さつまいも、しいたけ、ブドウ、スイカ等を作っては辞め作っては辞めを繰り返すのです。
今となっては良くこれだけ作れたものだと感心しますが、昔は販売経路が農協しかありませんから量が大正義なのです。多品種少量では立ち行かない時代でした。

更に生産面積が少ないので収量も上がらず、くそ山のなかですから労働生産性も上がりません。当然の帰結として貧乏です。

貧乏だから現金収入が欲しくなるので、両親は土木作業員(ドカタ)や建築現場の仕事に出ます。百姓は手を抜くので中途半端となります。

出稼ぎは現金にはなりますが結局労働者ですし、賃金を支払ってくれない親方も出て来ます。私も賃金支払い督促のだしに親方のところに連れて行かれた事を鮮明に覚えています。



結局百姓もドカタ仕事もどっちつかずとなり負けが負けを呼びます。
いつボットン便所の底が抜けるか分からない家に住むような生活ですから、欲しいものが買える訳がありません。

2千円のスルメイカが欲しくても欲しいと言い出せなかった事を良く覚えています。2千円が手の届かないものに思えました。

さてそのような生活を送ってますから、人よりも働いて、なんでもかんでも売ってカネにしようと子供ながらに考えます。小学校低学年までにカネの為に行っていた習慣を列挙します。



○常に畑に行く。

正に労働力でもありました。幼稚園に行く前からきゅうり、エンドウ豆の収穫、しいたけの袋詰めをしていた事を覚えています。
小学生ではミカンが大量に入ったコンテナをモノレールに積みトラックに積み替え選果をしておりました。小学生ながら土曜日も日曜日も当然仕事です。大人と同じものを運び遅いと親から叱責されるので大変でした。

○売れるものはなんでも売る

山のなかで生活しておりますから、色んなものが取れます。ワラビ、ゼンマイの山菜類は当然取ってきては売りに出します、タケノコも取れます。
近所にタケノコの瓶詰め工場がありますので、大きくなり、竹になりかけのタケノコも買ってくれます。

小学校の下校時には大きなタケノコをラリアットで折り、蝶野のヤクザキックで折りそれを担いでタケノコ工場に持って行きます。
『4本持って来たから金くれよ』と言えば400円程くれました。

また食べ物以外では昆虫がたくさん取れました。夏の昼休み等は雑木林に行き、カブトムシ、クワガタの採集です。
町のニチイやジャスコに持って行けば一匹100円程で売れました。養殖出来るカブトムシの単価は安く、その当時は天然ものしかなかったクワガタの単価は高いものでありました。
カブトやクワガタのお陰で時計やセガマークスリーが買えました。

変わったところでは、カミキリ虫の頭をもいで農協に持って行くと1個10円くれました。カミキリ虫の頭だけを数珠のようにし農協に持って行ったものです。当時はキモいという感覚は皆無でした。


幼少期より資本蓄積の為には、

○人よりも働く事

○ゼニになるものはなんでもゼニにする事

を自然と学べていたのだと思います。

何不自由ない生活を送っていたのであれば、こういう経験は出来ません。
若い頃の苦労は買ってでもしろと言われますが正にその通りだと思います。

今となって、資本蓄積の為の習慣を身につけさせてくれた、そのようなクサレボンビーだった環境に感謝しております。