三流外資系サラリーマン大家のブログ

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大崎八幡宮 なぜに大崎? なぜ国宝?

三流外資系サラリーマン大家です。

仙台に都合10年以上暮らしながら、大崎八幡宮に行ったことがありませんでした。

一回は行ってみようという単純な動機で向かいました。またなぜ大崎なのか?(大崎って何?)
何が国宝なのか?も気になっておりました。

朱塗りの一の鳥居
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2の鳥居
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階段
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長床(重要文化財)
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御社殿(国宝) 豪華絢爛です。
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○なぜ大崎か?

室町時代奥州管領大崎氏が祀っていたから

大崎八幡宮ホームページより引用

"平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。その後、室町時代奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。

大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。

この際に旧領の羽前国米沢にて代々崇敬しておりました成島八幡宮と共に祀られました。 社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されており、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えております。"

○何が国宝なのか?

社殿が安土桃山時代の我が国唯一の遺構であるため


大崎八幡宮ホームページより引用

"大崎八幡宮の御社殿の様式は入母屋造りの本殿と拝殿とを相の間で繋いだ石の間造りであり、後に権現造りと言われる建築様式は、外観は長押上に鮮やかな胡粉極彩色の組物(斗きょう)や彫刻物を施し、下は総黒漆塗りと落ち着いた風格を現し、拝殿正面には大きな千鳥破風、向拝には軒唐破風を付け、屋根は柿葺と意匠が凝らされております。

拝殿内部には狩野派の絵師佐久間左京の筆に成る唐獅子の障壁画や大虹梁の青龍、石の間の格天井には五十三種の草花が描かれており、俗に左甚五郎の作と伝わる花鳥動植物や説話風の人物など多彩な彫刻が組み込まれ、全体的に美しい調和をなし、安土桃山時代の文化を今に伝える我国最古の建造物であり、その貴重さから明治三十六年特別保護建造物に、また昭和二十七年には国宝に指定されました。"

なるほどそういう意味で国宝になっているのかと新たな発見がありました。

おまけ

どこかで見たような模様の石灯籠

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