三流外資系サラリーマン大家のブログ

不動産、金融商品、三流サラリーマンの悲哀

アラフォー 宮城県の転職について 辛い

転職を繰り返しておりました三流外資系サラリーマン大家です。

私は20代後半に1回目の転職をし、鹿児島で予備校教師になっております。学志館という予備校でした。(予備校の話はまたおりをみて)

鹿児島の予備校教師を1年で辞め2回目の転職をし、日産と日立製作所合弁会社である今はなきザナヴィイフォマティクスという会社に勤めました。神奈川県座間に本社がありました。


その2年後にクラリオンの資本下になったのと同時期に現在の三流外資系会社に3回目の転職をしております。エンジャパンの紹介でした。

今やそのクラリオンもフランス資本に買収されております。結構私の『会社がヤバい』という嗅覚は当たりますので、いまの会社ももう少しでアウトになることでしょう。

このように数度も転職をしており20代後半や30台前半は転職エージェントが付きいつでも転職することが出来たのですが、仙台市で転職活動をしている30代後半以降は転職しようと思い履歴書を送付しても書類で落とされる事が増えて参りました。


外資系総合職であり専門技能が無いため落とされているのでしょうが年齢の問題も大きいと思われます。誰がアラフォーのオッサンを使いたいでしょうか?(笑)

今頃になって思いますが、やはり専門職能をもっておけば良かったなと考えます。若いうちは税理士や司法書士を『努力さえすれば誰でも受かる試験』とバカにしておりました。

これが全くもっておバカな発想でした。外資系の総合職等は会社が変われば全く使い物になりません。手に職をもっていなければ生きていけません。
自分自信が『努力する能力のないバカ』でした。

今さらになっての大きな後悔です。若い内に何か資格を取り専門技能を磨いておくべきでした。

後悔先に立たず。覆水盆に帰らずです。
逃げ道のないサラリーマン生活というのも辛いものです(笑)


深刻に考えず笑って過ごすしかありません。それが高度専門能力の無い総合職の生きる道です。(笑)

本当に宮城県や地方での転職は辛いものです。会社辞めると働き口が全くありません。泣