三流外資系サラリーマン大家のブログ

不動産、金融商品、三流サラリーマンの悲哀

3流帝大卒業後 企業就職 美しき世界は感謝の心から

三流外資系サラリーマン大家農民です。

 

正月なのでサラリーマン人生初期を振り返ってみました。

自分の備忘録です。

 

3流帝大卒業後、将来の家業の役に立つ会社、モノづくりで海外へ輸出出来中国語、英語が活用出来る会社、子会社でアグリバイオを有する会社、社員がポンコツで早めに経営層に上がれる会社という条件でヤ○マー社へ入社しました。

ぶっちゃけ行きたい会社はK社とY社しかなかったので希望通りです。

 

大学の同級生にはポンコツ農機メーカーに入りやがって、HI系に行かなきゃ笑いもんじゃとバカにされましたが、HI系に行っていれば管理作業機や運搬車、トラクター、Hydraulic Excavatorの運転技能、機械構造を理解習得出来ていないと思われるので、今思っても農機会社への就職は目論見どおりでした。

 

新卒入社当時は家業の売上が月500万円程あり、従業員も中国研修生含め5人いました。

なので給料月20万円程度の企業就職にぶっちゃけあまり興味がありませんでした。

一応腰掛けで中国語能力だけ磨き、手に入れる経営能力や技能を得ればとっとと辞めようと思っていました。

(しかしバブル崩壊で家業の売上は大幅減少し、この目論見は脆くも消え去ります)

 

20年程前のヤ○マー時代の思い出としては

 

入社前にそもそも第9回ヤンマー学生懸賞論文で入選していた。入選者はほとんど農学部の院生

 

最終役員面接で役員室のドアから出て即、人事へ電話がなり採用決定、前代未聞だと大騒ぎ

 

配属前の新入社員研修最終日に優秀な会社員とは?というお題で『組織で生きるには没個性』と発表し、同期の一部から称賛を浴びるが、大多数の会社側出席の管理職から軽蔑される

 

大学時代ゼミが会計ゼミであったので経理に配属されるが、配属2日目の展示会の販売応援に行き管理作業機を速攻で2台契約

 

名古屋支店配属後の経理総務業務が気に入らず、中国語を使い機械を売る仕事がしたいとごねていたら、神戸大工学部卒の支店長に支店長室に呼び出され

『ワシも理系卒で研究したかったけど販売責任者にされたんや、自分が持ってる技術と人が使いたい能力は違うから先ずは配属されたところで技能を身につけろ』

と諭されしぶしぶ従う

 

その後も経理業務をしながら、展示会応援で売りまくっていたら、人事部長から

『なんでこんなやつ経理に配属させてるんや』と言うことで1年後社内で出世コースとされる九州の営業企画に異動

 

鹿児島の販売会社へ出向となり社長、販売部長の秘書役となり支店長と協業し機械を売りまくる。

国内でトラクター台数最多販売と最高粗利益率を叩き出し販売会社が表彰される。

当時、月の休みは2日、毎日11時以降退社の日が5年程続く

夜の10時からは50代の営業所長の電話愚痴相談にのる

 

入社3年目25歳で社内新規事業コンテストで最上位入選、社内の管理職共は無能だとの思いが確信に変わるという大きな思い違いをする(笑)

 

27歳位になり果たして自分の会社じゃないのに仕事ばかりでいいのかと思い始め、この会社にいるとレベルの低い業界の国内の仕事以外出来ない、格闘技をやる時間がない、私はブラジリアン柔術大道塾空道をしたい、もう少し中国語や英語のレベルを向上させられる仕事につきたいという思いにより退職を決意する。

 

さて、あらためて思い出を書き出してみると、機械にも触れ、経営にも触れ、20代で徹底的に長時間労働し一通りの事は経験出来ています。

結構経営層からも声かけしてもらっていた事も思い出しました。

 

農業機械の運転技能は現在の農民のお仕事に役立っていますし、経理、販売、経営の知識は零細農民企業運営に役立っています。

あらためてこのような経験をさせて頂いたヤ○マー社に感謝です。いい会社です。徹底的に鍛えてもらいました。

社内に残られている皆さんは美しき世界を作るため頑張って下さいませ。