三流外資系サラリーマン大家農民です。
梅雨時期らしく紫陽花(梵天)を200本出荷
紫のグラデーションでいい色ですわ
全くもって主力樹種ではなく皆さん作らないので組合への協力商品
1000本位しか在庫なし
しかし紫陽花は半日陰の山間地域で生産しやすく、安いといっても1年でカネになるので40年前、植木創業時の主力商品でした。
現金化が早いというのは当時相当な魅力でした。
それこそゼニも土地もなかったので、水害被害を受けた田んぼ(橋の無い)で生産しておりました。
出荷時は川表の石伝いに人力で植木を抱えて出荷、機械はイセキの石油発動機の耕耘機、グルグル回してポポポポポンってエンジンかかる奴です。
原始的な大昔ですが懐かしい
当時はちょっとでも注文がくると儲かった~と大喜びしておりました。
それが今や大量注文がくると、身体痛いので注文いらない等と罰当たりな発言
植木創業当時、小学低学年の私も当然お仕事
植木以前も幼稚園児の頃からお仕事のお手伝い、仕事をしないと虐待されるのでずーっと仕事でした。笑
それから考えると、今は不労所得もあり良いご身分になりました。ゼニがあることに感謝